
- 中村文昭(なかむら・ふみあき)
- 昭和44年 三重県多気郡大台町大杉に生まれる
- 皇學館高校卒業
- 現在 有限会社クロフネカンパニー 代表取締役社長
- 著書
『お金でなく、人のご縁ででっかく生きろ!』(サンマーク出版)
『お金でなく、人のご縁ででっかく生きろ!(出会い編)』(サンマーク出版)
『人生の師匠をつくれ!』(サンマーク出版)
『出会いを生かせば、ブワッと道は開ける!』(PHP研究所)
『非常識力』(PHP研究所)
『僕たちの“夢のつかみ方”をすべて語ろう!』(学習研究社) など - CD・DVD
『中村文昭のみるみる元気がわいてくる!1(パワーの源)CD』
『中村文昭のみるみる元気がわいてくる!2(出会いの種)CD』(サンマーク出版)
『人生の師匠をつくれ!DVD』(サンマーク出版)
18歳の時、家出同然で単身上京、職務質問を受けたお巡りさんが友人第1号。弟のように可愛がられ、仕事・食事の世話をしてもらう。
ある日、そのお巡りさんに連れてもらっていた、とある焼き鳥屋で人生の進路に影響を受ける大物リーダーに出会う。焼き鳥屋で出会った男性は、大きな事業構想を持ち、そのロマンに惹かれ、その場で弟子入りを決意、彼の商売(野菜の行商)を手伝い始める。
将来の基盤をつくるために、毎日、300円の生活。お金を節約する熱心さに感心した農家のおばちゃんにかわいがられ産直方式をヒットさせる。19歳の時、行商で得た資金を元に六本木に飲食店を開店、店を任せられる。その後、様々な方法でお客様を満足させて、5店舗まで拡張。
21歳の時、三重県に戻り伊勢市で10席の飲食店「クロフネ」オープン(1号店)。三重No.1のお客様に喜ばれる店づくりを目標とする。お客様を徹底して喜ばせ大繁盛させる。
26歳の時、リビングカフェ「クロフネ」をオープン(2号店)。若者が、本当に楽しく、皆に祝福されるようなレストラン・ウェディングを始め、演出を手がける。現在、リビングカフェ・クロフネにて年間50組の手づくり結婚式を行い、伊勢でダントツの人気No.1店となる。現在は自分の経験を活かした講演活動・人材育成にも力を入れ、全国を飛び回っている。
講演会を行う一方で離農が進んだ北海道の農地をお借りして、都会でひきこもり・ニートと呼ばれる若者達と一緒に農業を行っている。(※『耕せにっぽん活動』別紙参照)
最近では小学校や中学・高校などの学校関係にも講演会で呼んでいただく機会が増え、教育現場の活性化にも強く関心を抱いている。
- 14歳
- 同級生からの総スカン
- 中学校2年生のとき、それまで威張り散らしていた同級生全員からある日突然無視をされる。
以後13ヶ月の間、同級生の誰とも口をきかない日々が続く。
- 15歳
- 皇學館高校入学
- 中学校のときの無視をされ続けた経験を生かし、高校に入ってからは周りの友人を大切にする。
他人のいいところ探しが得意になる。
- 18歳
- 東京へ上京
- 高校卒業後、兄を追いかけるように東京へ上京。
- 防衛庁突入事件
- 壊れた自転車でブレーキが効かず防衛庁に突入。
警備員に取り押さえられた後、今後二度と防衛庁には近づかないという誓約書を書かされる。 - 自転車泥棒疑惑
- 壊れた自転車を押して帰っている途中、自転車泥棒と勘違いされ警察官に呼び止められる。
職務質問を受けた後、その警察官と仲良くなり食事をご馳走になったり仕事を紹介してもらったりする。 - 人生の師匠との出会い
- ある日、焼き鳥屋でその後の人生に大きな影響を受ける大物リーダーと出会う。
彼の話を聞きその場で弟子入りを決意、彼の商売『野菜の行商軍団』に加わる。 - 都内に飲食店をオープン
- 六本木や麻布などに5店舗まで拡張。
- 21歳
- 地元三重県にて『クロフネ』(1号店)オープン
- 徹底してお客様を喜ばせて『クロフネ』を大繁盛させる。
- 26歳
- ウェディングレストラン『Living Cafe Kurofune』(2号店)オープン
- 2人が列席者の方から本当に祝福してもらえるウェディング作りを目指し演出を手がける。
年間約50組の挙式・披露宴をプロデュース。
その後3号店をオープンさせるも失敗、挫折を味わう。
- 32歳
- 講演活動
- 知人から頼まれ、大勢の経営者の前で話しをする。
そのときの噂が口コミで評判をよび、現在では年間300本以上の講演依頼を受ける。
企業・地域団体・学校関係など対象は様々。
- 37歳
- 耕せにっぽん活動開始
- 離農が進み土地がどんどん荒れていく地方の現状、都会で社会問題とされているひきこもり・ニートの若者たちの増加。この2つの問題を組み合わせ、一気に解決してしまおうという”耕せにっぽん活動”をプロデュース。
何度も失敗を繰り返しながら、近隣農家さんの力も借りてトウモロコシを中心に多くの野菜を生産している。
- 39歳
- あこがれ先生プロジェクト
- 学校関係に講師として呼ばれたときに出会ったたくさんの素敵な先生達。
そんな先生方にスポットが当たるイベント”あこがれ先生プロジェクト”をプロデュース。
全国から多くの現職の先生や、将来教師を目指す若者が参加。大成功を収める。
- 43歳
- 東久邇宮文化褒賞(ひがしくにのみやぶんかほうしょう) 受賞
- 7年に渡る「耕せにっぽん!」の活動が認められ、民間最高の褒賞「東久邇宮文化褒賞(ひがしくにのみやぶんかほうしょう)」を受賞。
東久邇宮賞は「三大宮賞」の一つで知的財産や発明の振興に努められた、有名無名の人々を表彰するもので『大衆のノーベル賞』とも言われております。

東京での行商時代に師匠から学んだ話しや、独立してからいろんな方とのご縁で学び現在に至る話しをします。お金を稼いで『金持ち人生』になるよりも、人と人とのご縁をつなぎながら生きる『人持ち人生』のほうが数倍面白いという本人の経験談をお話しします。
社会人・主婦・学生など、どんな方からもご高評いただいております。
自身の母親の子育て術の話しや、行商時代に師匠から学んだ人育ての話しを交えながら、子供や部下の育て方の話しをします。学校の保護者や企業の部長・店長クラスの方向け。
レストラン経営や行商時代に学んだ、お客様の心に残る接客とは何か、という話しをします。
店舗経営者・店舗従業員・営業マン向け。
中村文昭プロフィール
(pdf/154kb)
中村文昭 写真
(jpg/385kb)
中村文昭 写真
(jpg/2.29mb)
中村文昭のプロフィール詳細を見る

- 森 日和(もり ひより)
- 1977年 京都府生まれ
- 京都女子短期大学生活科学科卒業
- 礼のこと教室代表 クロフネカンパニー所属
- 【演題】
- 「お箸の作法とそこに込められた日本人の心」
- 「慶弔(結婚、葬式)のしきたりに関するお話」
- 「様々な年中行事(春夏秋冬)それを作った日本人」
1977年、京都にて森家三姉妹の次女として生まれる。両親の教育方針もあり、わりと自由に天真爛漫な学生時代を過ごす。京都女子短期大学生活科学科卒業。
短期大学卒業後、宝飾品メーカーに入社。本社社長室にて秘書を務める。社会人生活を送る中でマナーや接遇に興味を持ち、様々なセミナーや研修を受講。その後、知り合いのすすめもあり、室町時代から続く日本の伝統的な武家礼法に入門。師範を取得する。
マナーという入口から入った和作法の世界でしたが、そこにはが森が想像したものよりはるかに深くて温かい日本人の心がありました。和作法の型というものは書籍も多く出版されておりますので、そこで学ぶこともできます。しかし、そこに込められた相手を思う気持ちや、優しさ、謙虚さ、和する心など、日本人が大切にしてきた『和の心』というものはなかなか接する機会がございません。様々な活動を通じてその日本人の心を広くお伝えし和作法というものが遠い存在ではなく、もっと身近で日常的なものと感じていただけるのではないかと感じ、和作法講師としての活動を徐々に開始。派遣社員として様々な会社で経験を積みながら、社内研修講師として接遇研修講師を務める。
2010年、会社を退社し独立。グレーシングアカデミー花梨を設立する。
企業での接遇研修や、個人向けのプライベートレッスンなどを行う。
2011年に礼のこと(いやのこと)教室を設立。礼儀作法や日本の伝統文化を伝えるという使命を持ち、全国での講演会や、企業での接遇研修、個人向けのプライベートレッスンなどを行う。一方で『ひより塾』という和作法の型や考え方、思いに至るまで徹底的に行う私塾も企画し、福岡県、佐賀県、東京都、京都府で開催。月に1回の年間12回のプログラム。
2014年9月よりクロフネカンパニーに在籍。
京都に拠点を構えて『食育・食礼』の教室を新たに展開。
ドキュメンタリー映画『何のために』出演。
森 日和のプロフィール詳細を見る

- 東野 昭彦(ひがしの あきひこ)
- 1970年6月15日生まれ
- 農業生産法人 株式会社耕せにっぽん 代表取締役
- 【演題】
- 「大地を耕し、心を耕す」
- 「ひきこもり君が教えてくれた5つのこと」
- 肥川 真理子(ひかわ まりこ)
- 1956年7月11日生まれ
- 農業生産法人 株式会社耕せにっぽん 寮母さん
- 【ワークショップ】
- 「いのちを育む料理教室」
【東野 昭彦プロフィール】
大阪生まれの大阪育ち。24才で札幌に移り住み、吉本興業でピン芸人として在籍、25歳でTVショッピングキャスターとしてTV出演し通販会社を設立。経営10年目でたまたま参加した中村文昭の講演会を聞き、刺激を受け「やりたい事業よりもやるべき事業」そんな使命感をもち、彼が構想中だった北海道での農業を展開する手伝いを始める。
現在の「耕せにっぽん」の責任者として、北海道安平町で事業を展開する。中村文昭が講演活動で全国を飛び回る中、現場でひきこもりやニートと共に農業をしつつ、耕し隊(研修生)として全国から集まる若者に勇気と希望を与え人育てに日々励む。耕せにっぽんの企業理念・行動指針は中村文昭の4つの鉄板ルールをもとに作られていて、人に喜ばれる事の大切さを伝え、多くの若者の社会復帰を手助けしている。
その実績をもとに、近年、講演会の依頼も増え「何の為に」この事業をするのか?なぜ今農業が大切なのかを全国で伝えている。また、北海道の農場ではニート、引きこもりだけではなく企業の社員研修も行い古民家を改装した「試され荘」でワークショップや農業体験塾を開き、講師としても活躍する。
【肥川 真理子プロフィール】
大分県佐伯市出身。先天性の脳性小児麻痺をもってこの世に生を受ける。
医師から「20歳まで100%生きられない」と宣告されるが、高校まで健常者と同じ学校で同じ授業を受け「薬で治せないのなら、食べ物でこの子の身体をつくり直す」という家族の信念のもと、大病をすることもなく育つ。高校時代から料理づくりを始め、卒業後は姉夫婦の子どもの子守をしながら家族の食事を一手に引き受ける。
25歳のときに母が乳がんを発病、5年後に他界。その後も祖母や父の介護など、長い介護体験で健康と食の大切さを思い知り、無農薬・無添加の食材を使った料理にこだわる。姉が講演会を主催したことをきっかけに中村文昭との交流が始まり、その人柄と料理の腕に感動した中村から、構想中であったニート・引きこもりと農業を結ぶプロジェクト『耕せにっぽん』の食事担当として誘われ、快諾。北海道安平町で「自分がこんな体で生まれてきたからこそ、若い子には安全なものを食べさせたい」という思いで、全国から集まり農作業をする若者の食事を作るとともに、思うように動かない身体で料理をするその姿を見せることで言葉のいらない教育を行っている。
2014年1月に岡山県にある“百姓屋敷わら”という食育施設で『重ね煮』を学び、自身の料理の幅を広げている。
東野&肥川のプロフィール詳細を見る